目と手 |
2024.06.29数年前、とある大学の授業の一環で、仕事に関するインタビューを学生から受ける機会があった。「あなたにとってデザインとはなんですか?」といったデザイン専攻学部として至極ベタな質問だったと記憶している。その際「デザインは自分にとっては目的」といった内容を話したら、後日学生の間から「デザインは目的ではなく手段ではないか」という議論が起こったらしい。ごもっともとは思いつつ「それだけじゃないんだよなあ」と当時は漠然と感じていた。
それから数年のちの過日、二人で学生の前で話させてもうらう機会を頂いた。テーマは相方が決めてくれ「目と手」とした。彼女が言うには「あなたは目じゃなくて手の人だから、デザインは手段じゃなくて目的なんだよー」と。なるほど〜そういうことか〜と数年越しに合点がいった(字的に逆なのはすごい偶然)。ここでいう「手」は、単に手を動かして何かをつくることに限らない。すべての検証と実装のプロセスそのものが「手」であり、視点と仮説の設定が「目」の役割となる。目と手は不可分であり常に液体のように入り混じっている。
デザインという言葉が広義になってゆけばゆくほど、デザイン思考のようにインスツルメントとして民主化され、「目」の要素が一層重視されるようになる。そういった俯瞰的な視点は今後ますます重要になってくるのも事実。だだ、「目」に偏り過ぎたときに必ずこぼれ落ちてしまうものがある、とぼくらは思ってる。それは「目」とバランスをとるものであって、デザインそのものへの眼差しであり、つくる悦びのようなものでもある。そしてそれは決して大きな目的の為だけに在るものでなく、コンサマトリーで自己充足的なもののはずだ。つまりAIには原理的に担えないもの、ということになる。
デザインにおいて目と手のバランスを意識すること、特に他者と補完し合ってそれに取り組む楽しさや可能性について、幾らかでも今回受講してくれた人に伝わっていれば嬉しい。