継承 |
2026.05.21[English text follows Japanese.]
先日より、世界的家具コレクター、故・永井敬二氏のコレクションを継承するための、クラウドファンディングと展覧会がスタートした。主宰する代表の山田敦貴さんからは以前よりプロジェクトの話は断片的には伺っていたが、いよいよ大きな一歩を踏み出した形だ。
わたしたちは、永井さんとの面識はない。昔一度ガレージセールにお邪魔したことがあり、チェアを一脚わが家で愛用しているというくらい。「いつか自分たちのデザインを見てもらう機会があるといいね」なんて二人で話していたが、残念ながらそれは叶わなかった。永井さんの薫陶を受けた山田さんとは、たしか10年ほど前、ひょんなことで繋がり連絡を取り合う仲だった。当時はこれほど大きな使命を背負われるとは、失礼ながら想像していなかった。「人生をかけてこのプロジェクトに臨む覚悟」という彼を見て、やり遂げられるのは彼らしかいないだろうと確信すると同時に、そういう人たちの手に委ねられたことがまた必然だなと思う。
気づけば長きに渡って「情報」というものが世界の主役として取り沙汰されてきたように思う。デザインとしても経済としても。でもここから先、時代の文法は書き替わってゆく。オープンな情報が限界費用ゼロへ向けて下に振れるにつれ、AIが喰らうことのできない時間を内包した「物質」の価値がシーソーのように上がり、普遍として固定される。「物好き」の時代到来である。永井さんの膨大かつ貴重なコレクションは、情報という濁流の中で価値の座標を定める「錨」となってゆくはずだ。
僭越ながら自分もプロジェクトへの応援コメントを寄せさせてもらっている。支援の詳細は下記より見られるので、是非多くの人に知ってもらえたらと思う。
クラウドファンディング
https://readyfor.jp/projects/ncollection_2026
展覧会
名作椅子のエクスペディション
https://www.instagram.com/p/DXvYjBvkwTG/
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Recently, a crowdfunding campaign and exhibition have launched to pass down and utilize the collection of the late Keiji Nagai, a world-renowned furniture collector. I had been hearing fragments about this project for a while from Mr. Atsuki Yamada, the representative leading the initiative, and it seems they have finally taken a major step forward.
We never had the chance to meet Mr. Nagai in person. We simply visited his garage sale once a long time ago, and we still lovingly use a chair we bought there at our home. We used to say to each other, “It would be nice if he could see our designs someday,” but sadly, that never came to pass. As for Mr. Yamada, who was heavily influenced by Mr. Nagai, we connected unexpectedly about ten years ago and have kept in touch ever since. To be entirely honest, I couldn’t have imagined back then that he would take on such a massive mission. Seeing his resolve to “dedicate his life to this project,” I am convinced that they are the only ones who can see it through. At the same time, it feels almost inevitable that the collection has been entrusted to their hands.
For a long time now, it feels like “information” has been the leading actor in our world, both in design and in economics. But from here on out, the rules of our era are going to be rewritten. As open information trends downward toward zero marginal cost, the value of primary “matter”—the physical things that AI cannot consume—will rise like a seesaw, solidifying into a universal absolute. The era of the “Monozuki” (true lovers of objects) has arrived. Mr. Nagai’s vast and precious collection will undoubtedly serve as an anchor, fixing the coordinates of value amidst the muddy torrent of information.
I am truly honored to have contributed a message of support to this project. You can find the details on how to back the campaign here, and I hope as many people as possible will learn about it.
Crowdfunding
https://readyfor.jp/projects/ncollection_2026
Exhibition
Expeditions through 20 Iconic Chairs
https://www.instagram.com/p/DXvYjBvkwTG/
近況 |
2026.04.26今年に入ってからブログもろくに更新していなかったが、新年度ということで更新。昨年末から大学の業務がリソースの半分(私)を喰ってしまっていて、なかなかスタジオの業務を進められなかったのが正直なところで。3月末で大学を離れたので(週一の非常勤講師を除いて)、5月以降は何かに追われることもなくどっしりと構えてやれそう。プロダクトの案件はまあ相変わらず少ないが、覚悟ある数少ない案件に意識をフォーカスする方が性に合ってるはず。
娘もこの春、小学校に進学。日々新しいことを楽しみながら挑戦している姿を間近で見て、わたしたちも力をもらっている。彼女のように楽しもう。
最近 |
2025.12.09初めて「AIで探して見つけました」と言われる案件があった。これまで所謂SEO対策的なことをほぼしてこなかったのもあり、指名で探さない限り、従来の検索エンジンをたたいても無名の私たちの存在が出てくることはほぼ無い。その一件が妙に気になってここ1週間、AIについて禅問答のような問いを繰り返した(AI相手に)。どうやら、人が辿るものが「ラベル」から「構造」へと大きな地殻変動を起こしている最中らしい。そして、AIは「私たち(少なくとも今までの私)が思っているよりもはるかに、私たちのことを(論理的に)理解しつつある」。そのことが判って、軽くひっくり返った。只、だからといって、私たちがやることは変わらないわけで。逆に(無理して)やらなくてよいことは今後さらに増えていく、そんな気がしている。
掲載情報 |
2025.07.277月発売のCASA BRUTUS No. 304 [収納とインテリア] 特集ページに〈DRAWER/TRAY〉を掲載いただいてます。セレクト、スタイリングは中田由美さん。いつもお声がけ、ありがとうございます。元々は杉工場の製品として生まれたものだったけど、うちのオリジナル(受注生産)という形でまたこうしてプロダクトが日の目を見られたことがとても有り難い。ご興味ある方はこちらへお問い合わせください。
お問い合わせ
mail@studio-yo.com
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2025.04.30昨年の直島でのリサーチより一年弱進めてきたプロジェクトが3月末にローンチ。地中チーム、岸本挽物、そのほか多くのプロフェッショナルな製作の皆様の尽力で、訪れる人の琴線に触れるようなものができたのではと感じている。17年前、大学の研究室の友人4人と小さなレンタカーに車中泊しながら、九州、中国、直島、四国と弾丸日程の貧乏旅行をした。そのとき地中美術館を訪れた頃は、こんな機会に恵まれるとは当然思いもしていなかった訳で、まったくもって人生はわからない。直島への来島者数(海外からがメイン)も年々増えているようだが、美術館は観賞体験の質を維持する意味でも入館に上限を設けているという話だ。インバウンドに色めき立ちオーバーツーリズムも叫ばれるこの国はいま、「量」から「質」へ転換すべき時期に差し掛かっているのかも。そして、20年以上前から未来を見据えた取り組みをするこの直島に、そして福武總一郎氏をはじめとするこの場所を作り上げた人々に、あらためてその凄みを感じずにはいられない。そんな場に今回のプロジェクトが何か還元しうるものになれたなら、それはぼくらにとっても望外の喜びだ。
プロジェクトの詳細はこちらから。
不惑 |
2025.02.04四十にして惑わず。なんてあるが、実際40歳になってみてもそんなことは無く。。日々惑うことばかり。子供の著しい成長を見ていると、つくづく自己の成長は感じられず嫌気が差すこともあるのだけど、受け入れるほかない。考え続けること、考え抜くことが仕事みたいなところもあるから、二人で揺れ動き続けるのが通常運転、ということで。
Present |
2025.01.172025年もあっという間に半月が過ぎた。昨年からのプロジェクトがどれも大詰めで、ありがたいことに忙しく過ごさせてもらっている。そういえば年末、打ち合わせで八女へ足を運んだ帰り、初めて「うなぎの寝床」に寄った。存在は勿論前から知ってはいたが、九州を中心とした手仕事・メーカーの商品がこんなにも色々とあるのだなーと改めて思うことだった。その中で僕らの食指が動いたのがこれ。フランス人デザイナー、ポーリーン・デルトゥアの有田焼のコーヒーカップ。手にとった実物が抜群に良かった。おそらく「高台」に東洋の器らしさを感じ取ってのアイデアながらも、凡庸にならず、ほどよく新しい空気も感じる。湯呑みのような小ぶりなサイズも絶妙で、コーヒーやお茶は勿論、我が家では少量のスープなどもしっくりきている。釉薬が全体にかかった滑らかな底面と丸みは、手への収まりがとても心地良く、非常に絶妙かつ繊細な色味のグリーンも、買う前から日常に溶け込む絵が見えるようだった。2021年、彼女の訃報をSNSで知った。38歳だったという。以前からプロダクトを愛用していること以外、なんの接点も無い謂わば他人だが、こんなに才気溢れる人が若くしてこの世を去るのは、同じプロダクトデザイナーとしてやるせない寂しさがあった。たまに「生涯で、あとどれだけのモノを二人でデザインできるのだろう」と考えることがある。モノはすでに溢れ、作る必然性は薄れ、寧ろ作らない、別の選択肢が必然性を持つ時代。この先自分たちにできることがあるのか漠然と不安になることもあるが、彼女のプロダクトを手にして、勇気を貰えた思いがした。「Present」という言葉に「現在」という意味が何故あるのか理由は知らないけれど、なんかこれはとてつもなく深いことなんじゃなかろうかと(勝手に)。心地良いデザインのカップを二人で使いながら「こんな仕事がしたいねえ」としみじみ感じ入る年末年始だった。今年はより一層、「いま」にフォーカスしてゆけたら。
迷ったティーカップのこちらのカラーリングも、これまたソーサーとの関係性が素晴らしく、またの機会に買い求めたいと思う。
雑感 |
2024.10.26デザインするとき、とにかく二人で話すようにしている。その際よく出るのが「はずかしい」という言葉。「こういう伝え方になると自分で言ってる感がはずかしい」「(デザインが)こうなると頑張り過ぎててはずかしい」といった具合で、多分「はずかしい」表現は受け手に一種のバツの悪さを与えてしまうのだと思う。「ウケが良さそう」とか「こうすると今っぽい」といった考え方や志向性もあるのだろうけど、自分たちの場合それよりは若干後ろ向きというか笑。「はずかしい」と「はずかしくない」の間には決定的な差がある。ただ、表現自体の差異は一見すると非常に些細なものだったりもして、2つの感覚の間の境界線を見極めるのが肝要だと思ってる。「はずかしくない」ものは、受け手に対して心地よい余白や余韻を残してくれる。多分それは「粋」ってことでもあるんだろう。
目と手 |
2024.06.29数年前、とある大学の授業の一環で、仕事に関するインタビューを学生から受ける機会があった。「あなたにとってデザインとはなんですか?」といったデザイン専攻学部として至極ベタな質問だったと記憶している。その際「デザインは自分にとっては目的」といった内容を話したら、後日学生の間から「デザインは目的ではなく手段ではないか」という議論が起こったらしい。ごもっともとは思いつつ「それだけじゃないんだよなあ」と当時は漠然と感じていた。
それから数年のちの過日、二人で学生の前で話させてもらう機会を頂いた。テーマは相方が決めてくれ「目と手」とした。彼女が言うには「あなたは目じゃなくて手の人だから、デザインは手段じゃなくて目的なんだよー」と。なるほど〜そういうことか〜と数年越しに合点がいった(字的に逆なのはすごい偶然)。ここでいう「手」は、単に手を動かして何かをつくることに限らない。すべての検証と実装のプロセスそのものが「手」であり、「目」は視点と視座を与えてくれる。目と手は不可分であり常に液体のように入り混じっている。
デザインという言葉が広義になってゆけばゆくほど、デザイン思考のようにインスツルメントとして民主化され、「目」の要素が一層重視されるようになる。そういった俯瞰的な視点は今後ますます重要になってくるのも事実。だだ、「目」に偏り過ぎたときに必ずこぼれ落ちてしまうものがある、とぼくらは思ってる。それは「目」とバランスをとるものであって、デザインやモノそのものに対する眼差しであり、つくる悦びのようなものでもある。そしてそれは決して大きな目的の為だけに在るものでなく、コンサマトリーで自己充足的なもののはずだ。つまりAIには原理的に担えないもの、ということになる。
デザインにおいて目と手のバランスを意識すること、特に他者と補完し合ってそれに取り組む楽しさや可能性について、幾らかでも今回受講してくれた人に伝わっていれば嬉しい。


